レストランは、いかに生まれたか (山内秀文)

 

講師の山内秀文は、辻静雄料理脅教育研究所の所長。訳書として「プロのための フランス料理の歴史」(ジャン=ピエール・プーラン、エドモン・ネランク著)があります。

 

また、レストラン史の他に、コーヒーの研究家という顔もあります。フランス近代におけるレストランの話が今回のテーマですが、あわせて、フランスの独特の「カフェ」文化についても、専門的な観点から話が展開。

 

ナビゲーターは、この回から、名手・櫻井昌孝さんに変わって、小山伸二(「辻調アキバ塾」「辻調<新>塾」言い出しっぺ)が担当しました。

 

まず、グループディスカッションのお題として「レストランの誕生はいつ頃なのか」と会場にといかけると、すかさず、「レストランという名前が使われたという意味なら18世紀中頃」と会場から声が。

そもそも「レストラン」とは、1765年頃から、「体力回復ブイヨン」を売っていたのだそうだ。

ただし、言葉、名称としての「レストラン」ではなくて、近代レストラン業の成立ということなら、ボーヴィリエが創始者。こちらは1782年に「タベルヌ・ド・ロンドル」開店という。

 

一般的に、フランス革命がきっかけとなって、王侯貴族の食卓を商品化(=レストラン)した、と言われるが、大革命以前の1776年ギルド制の廃止あたりから、実は、近代レストラン業の萌芽が見られた、というあたりが、山内先生のこの勉強会での主張のポイント。

 

そのあと、フランスの飲食業における「ギルド制」の勉強をしました。さらには、ギルド制と王権の問題。独占・排他的商業特権であるギルド制は、徴税まどの管理機構としても機能していた。まさに、旧体制=アンシャンレジームを支え合っていた。

 

近代的なレストラン業の誕生を阻んでいたのは、単に王侯貴族が優秀な料理人を囲い込んでいたというではなく、既得権益集団制度としてのギルドこそが、新規事業、新規参入、レストランの大型化などを阻む障害になっていた、と。そこで、王権の衰退に先駆けるようにしてギルドの崩壊があったらから、近代レストラン業が誕生した、と。

 

つまり、革命がもたらした状況は、引き金ではなく、ギルド崩壊にとどめを刺したという点で、飲食業における業種の解体と業態の再編という流れに貢献したのだ、ということらしい。1回だけの勉強ではなかなか頭に入らないものの、現在の飲食業の日本とフランス、あるいはアメリカでもアジア諸国でも、比較するときに、こうした「歴史認識」があるとモノサシが複数になって、複眼的に異文化間の食やレストラン業のことをみることができるかな、と思わせました。

 

最後の質疑応答も活発で、参加者のレベルの高さにも舌を巻きました。残された課題として、近代レストラン業の誕生のなかでの「客」の問題。とくに、「女の客」の問題が興味深く、今後、あらたなテーマになるという手応えがありました。

 

ここまで、6回+1回の、辻調グループ校秋葉原サテライトキャンパスを舞台にした「辻調アキバ塾」は、ひとまず、幕を下ろしました。

 

7回あわせての延べ人数255名の参加者の皆さま、本当に、ありがとうございました。

 

さて、2009年3月に終了した「辻調アキバ塾」は、間髪入れず、翌4月から、名称を「辻調<新>塾」と変えて、東京・台東区山谷にある日本を代表するコーヒーの自家焙煎店「珈琲屋バッハ」にて、店主の田口護さんの半生をお聞きしました。

 

このときの話は、「辻調<新>塾」のコーナーでまた、改めてご紹介します。

 

では、最後のひと言。

 

ありがとう「辻調アキバ塾」!