「『詩とコーヒー』試論への断章」 小山伸二

日本コーヒー文化学会・刊 「コーヒー文化研究 no.5」(1998年)掲載論文より

 

詩とコーヒー」試論への断章

 

                       小 山 伸

 

 

 

0 物語のはじまり 

 詩とはなにか、という問いかけがあるとしよう。

 いっぽうで、コーヒーとはなにか、という問いかけもあるのかもしれないし、あるいは、ないのかもしれない。

「何々とは、なにか」という問いかけ自体を立てかけられる、つよい世界観の壁は崩壊しているのかもしれない現在において、詩とはなにか、コーヒーとはなにか、などという問いかけは、この冬空を流れ行く幾すじもの白い雲であってもいいことだろう。

 それにしても。

 どうしようもない現状をまえにして、目に見えない壁だろうか、あるいは「閉塞感」というべきなにかだろうか、あたり一面に靄のように立ちこめているに違いないこの90年代。いったい、この時代に「コーヒー」や「詩」を話題にし、考えることにどんな意味があるというのだ。ぼくたちがいま、話題にし考えるべきテーマはまだまだそこかしこに山積しているというのに。

 90年代は、戦後50年もかけて築き上げたこの国の経済的な栄達の最終的局面で「バブル経済」と命名されたものが、崩壊し、以降、妙に明るく暗い不況の始まりがあり、そのさきに奈落の底が待っているのかいないのか、奈落があるとしてその底はいったいどこなのか、予断を許さないきょうがいまもなお進行中である。

 「地上げ」にはじまり、「都市計画」だの「再開発」だのという一連の地面をめぐるお祭り騒ぎに置いてきぼりを喰った空き地や空きビルが、この国のあちこちの都市に身をさらしている90年代。さらには、阪神・淡路大震災、カルト教団による地下鉄無差別テロ事件、少年による凶悪事件、あるいは毒物混入事件などにいたるまで、これでもかこれでもかと、この国に追い打ちをかけるように次々に襲ってくる「災い」の巻き起こす陰々滅々とした響きが、いまなお進行形で、この90年代を貫いている。

 なんとも気の滅入る、しかし直視しなければ、どうにも明日からも生きていけないぼくたちの、きょうの断崖に響くことばがいまほど強く求められているときはないというのに、実際に供給されるあてなどない。しかし、深刻ぶったところでなにかが変わるわけではない。ここはひとつ、ニヒルという名の「正気」でも着込んで、すべてを店仕舞いにすべく最後の一杯のコーヒーでも飲むか、と勢いよく飛び出したこの時代の冬空のしたには、まるで偶然のようにして佇んでいるだろう二冊の本が、ぼくたちを、またも冒頭の問いかけに連れ戻す。

 

 

1 コーヒー、それは「悦ばしき知?」

 「現代にあらたな意味を投げかけるべく待機している過去の歴史的事実」が数多く発掘されるであろう、と1962年の刊行のことばをその巻末に掲げる「中公新書」。

 そのNo.1095 に、『コーヒーは廻り 世界史は廻る』(1992年/臼井隆一郎)と表題された一冊がある。この本は、「近代市民社会の黒い血液」たるコーヒーの「過去の歴史的事実」をあばきたてたことによってではなく、「コーヒー」をめぐる言説が、「世界史」記述の新しい物語のスタイルをぼくたちに顕示してみせたことによって、つよく記憶に残る一冊になった。

 

 80年代に「コーヒー文化」を供給する雑誌の編集にかかわるという極私的な体験から、ぼくの「なぜかコーヒーにこだわる」日々は、現在までつづいてきたのだが、その日々のなかで目撃したことは、「コーヒー文化」ということならば、「コーヒー」をとおして構成される物語のいくつもが、ひとつのまとまりを欠いたままに、断片的に細分化された「歴史」として、繰り返し叙述される光景だった。

 15世紀のあるころに出現した(有用植物としての活用というならもっと遙か以前なのだろうが)コーヒーは、「世界史」というひとまとまりの歴史記述で統合することが容易になる「近代」を概観するときに、そのなかで触媒として機能している、などと、ひとまず呟くとして、要するに、宗教あり、政治あり、経済あり、芸術・文学、社会・風俗・世相となんでもありの教養スノッブたちを魅了しつづけ、その波瀾万丈の冒険活劇めいた数々のエピソードに彩られたコーヒーは、近代の「歴史物語」の主役級に鎮座する、特別な飲料であるには違いなかった。ただし、あくまでも、断片的に、あるいは細分化された物語として。

 もっとも、ここで不用意に「触媒」などと口にして、ぼくは、あわてて辞書を繰る。触媒とは、「それ自体は化学的変化を受けず、他の物質のなかだちとなって化学反応の速度を速め、または遅らせる物質」と、手持ちの「改訂新潮国語辞典」(昭和49年改訂2刷)にはある。

 歴史(化学反応)において、コーヒー(それ自体)は変化せず、歴史における個別要素(他の物質)の反応速度に影響を及ぼす物質である、と言い直してみて、ほんとうに、コーヒーは「触媒」といえるのか、どうか。

 コーヒーが、ほんとうに「触媒」ならば、化学変化の反応速度に影響がでたモノ(物質)とはなにか。仮に「歴史における個別要素」などといい加減なことばを振ってはみたものの、それは個別の人間のことか、ある民族の集合的な運命のことか、「社会システム」か、「国家」か、それとも、なにか。

 そして、いっぽう、「コーヒー」そのものは、他者の反応速度に影響は与えても、みずからは「不変の物質」といえるのか、どうか。

 イェメン山中のスーフィーたちが飲んだ「コーヒー」。

 イェメンからメッカにというかたちで周辺地域に伝わっていき、やがて市井の民が生活のなかで(民衆のなかで生活するスーフィーたちも居たにせよ)飲みはじめた「コーヒー」。

 オスマン・トルコ帝国の首都イスタンブールで、ロンドンで、パリで、ベルリンで、ウィーンで、ハイチで、リオ・デ・ジャネイロで、ニューヨークで・・・・・・あるいは、東京で。

 貧者のコーヒー、富者のコーヒー。宮廷や貴族サロンでのコーヒー、革命カフェでの、高級レストランでの、深夜の高速道路のサービスエリアでの、深夜営業の場末の喫茶店での、ファミリー・レストランでの、あるいは、冬の朝の建設工事現場でのコーヒー。さらにつづければ、メッカの高官(パシャ)であるハーイル・ベグ・アルミーマルがモスクの片隅で目撃した1511年6月20日金曜日の夜の「怪しげな輩たちの」飲んでいたコーヒー。あるいは、1991117日の ホワイト・ハウス執務室でブッシュ大統領が飲み干しただろうコーヒー。そして、いまぼくの目の前にある、このコーヒー。

 これら、すべてのコーヒーが、自らは変わることのない、不変の「ひとつ」のものとして、あったのか、どうか。

 さて、『コーヒーは廻り 世界史は廻る』にもどろう。

 おなじみのコーヒーをめぐる、お手軽な教養本だと思って手にしたはずのこの小さな本から、意想外にきこえてきたものは、ぼくたちの身内にきっとあったであろう、軽やかなる「悦ばしき知」、「愉しき知」への「教養充足欲望」をうち砕く、断片化していない、細分化されていないその「歴史記述」における、「コーヒー」をして語らしめられた呪詛の声にちがいない。仮に、その呪詛が、ときに読者に最後の希望をすら語ろうとしているにせよ。

 かくて、 「コーヒーの歴史」を近代から現代に至るここ四、五百年の「世界史」によりそって考える、という、いかにも「コーヒー・サブカルチャー」お得意のジャンルを彷彿とさせるこのタイトルの本が、不意打ちのようにぼくたちに顕示したことは、コーヒーが廻り、一方で、世界史は廻る、という「概念上」の光景そのものだった。いや、こんな貧しいもの言いでは仕方がない。著者のあとがきを手がかりにするならば、「コーヒーの歴史から寄せ集めた事実の集積が、次第に寓話的な物語の体を整え始めた・・・・・・」。これは著者の恣意ではなかったにせよ、明らかにこの本には、この数百年の「世界史」を言語態分析、神話論研究などの自らの研究課題に引きつけて寓話的な物語として再構築しようという著者の強い意志がそうさせたのではないか。

 自らの<専門領域>の森で、「コーヒー」という商品を著述するという挑発的な試みは、新書という限られた書籍メディアの中では、奇跡的な成功を収めているに違いない。そこには、「知ることの悦び」を満たすよりも、「知ることの悲しみ」の重みを伝える、研究者ならば研究者としての、「誠実」があるだろう。

 もちろん、批判的であれ肯定的であれ、学問として『コーヒーは廻り 世界史は廻る』を丹念に読み解くという仕事は、コーヒー研究のこれからにも、「世界の歴史」へのぼくたちの認識を鍛えるためにも必要なことだろうし、その任に当たることのできる、イスラーム研究家や、イギリス文学やらフランス文学やらの<専門領域>からコーヒーに関して言及してきた学究のひとびとに強く求められることだが、こんかい、<専門領域>のなにもない半端者の、編集者くずれの、「なぜかコーヒーにこだわる」ぼくが、この本に誘発されたように、はずみでフラフラと歩みでた場所は、また別の物語への道へ接続している。

 

 『コーヒーは廻り 世界史は廻る』終章「黒い洪水」を締めくくるべく配されたボブ・ディランの詩は、つよく、ぼくたちをうつにちがいない。「コーヒーをもう一杯、道のために。コーヒーをもう一杯、下方の谷間へと、ぼくが出発する前に」と。たしかに、著者の言うとおり、「幻映めいた風景を縫う、行方定かならぬ旅立ちの合図」には、所望される一杯のコーヒーこそが、似合うことだろう。

 

      One more cup of coffee for the road

          One more cup of coffee 'fore I go

          To the valley below

 ONE MORE CUP OF COFFEEより/Music and words by Bob Dylan"Desire" 1975

 

 詩人アレン・ギンズバーグが、ディランのアルバム「欲望」のライナーノーツに寄せている言葉のとおり、ヘブライ風の朗唱風にはりあげられたディランの声は、1975年の、そしてこの世紀の終わりとその先にまで届く。ぼくたちの行方定かならぬ旅立ちに、繰りかえし「勇気」づけのために差し出される「一杯のコーヒー」はすでに比喩をこえ、あえて臆面もなくいえば、一縷の希望をこの世界に語りかけていないか。

 

 コーヒーは、無邪気に飲んで楽しいものである。

 いっぽう、知ることは楽しいことだろうか。勉強は楽しく、そして苦しい。しかし、そういう文脈とはまったく別に、事実を知ることの辛さ、歴史を学ぶことのやりきれなさ、は不可避である。

「悦ばしき知」ということに対する嫌悪感をスローガンとしてではなく、強靭な、あるいは誠実な生きる姿勢として、「知る悲しさ、切なさ」の向こうに、なにかがあるのか、あるいはないのか。そんな問いかけの坂をぼくたちは、きょうもだらだらと降りていく。

 そして、冬空のしたのもう一冊へと、ぼくの物語はつづく。

 

 

2 「詩」、そして湾岸戦争

 そして、もう一冊へと、青く明るい冬空に流れきえかかる雲を追おう。

 

   「人類とともに言葉が生まれ、詩(うた)となって心に刻まれ、作られ書かれして、無数に生き死にを繰り返し、いまに至る。戦争の歴史もまた気がとおくなるほど遠くからあって、血の贖(あがな)いをこととする。けれども、日本列島に例を求めると、縄文時代一万年余(B.C.12000B.C.500)の遺跡から、戦士の遺体も防御具も濠も見いだすことができない。要するに、人類にとって、戦争は絶対の条件ではない。・・・・・戦争とともに初期の国家が生まれ、そしておそらく、ホメーロスのような偉大な詩人がそこから生まれた。詩人とはしかし、本来、すべての言葉の達人たちに賦与されるべき《資格》ではないか。それは詩の事実上の書き手にとどまらない、すべての美しい、予言に満ちた、訴える力を持つ言葉の愛好者に賦与される。ここから見るならば戦争を人類が知る以前から詩人は存在していた。」

 

 詩人、藤井貞和の湾岸戦争をかいた詩に対する批判を発端にして、「現代詩」の詩誌を舞台でやりとりされた論争(1991年5月号『現代詩手帖』「『湾岸戦争詩』批判」・瀬尾育生の文章に対して、藤井貞和はすぐさま、同誌6月号に「詩は無力であるか」で応え、他の評論家、詩人たちをも巻き込んで「論争」というかたちに発展する)をとおして、この時代に詩はなにをなすのかをあえて「詩人の真情」を語ることさえも恐れずに、真摯に応えたであろう、藤井貞和の文章がまとめられた一書、『湾岸戦争論』(1994年/河出書房新社)の冒頭に、うえの「序詞」が置かれてあり、1998年のきょうに至る。

 別言するならば、詩とはなにかという問いかけを、この1998年の暮れに、おそるおそる口にとなえるぼくのまえに、この序詞は、置かれている。

 この列島の縄文時代のころからすでに「美しい、予言に満ちた、訴える力を持つ」言葉の達人たちや愛好者に賦与されたものとしての「詩」は、そのことばの発生とともにあるものだとしたら、「詩」とは、なにか、という問いかけを立てかけられることなど、このぼくにかなうはずもないと、途方に暮れるばかりである。しかしそれでも、詩とコーヒー、コーヒーと詩、と呟いて、この「序詞」に強引に続けるとするならば、「コーヒー」なるものを意味する言葉を用いた「詩人たち」は、たったひとりの例外もなく、人類が戦争というものを始めてから、遥かなる季節を越えて生まれ来た者たちにちがいない。

 さて、ユーラシア大陸の西方では、「戦争」を執り行う主体としての「国家」が、絶対的な制度として揺るぎのないものになる世紀をすぐにひかえた、15世紀の中盤のある時期から、アラビア半島の南端イェメンの山中においてスーフィーと呼ばれるイスラーム神秘主義の修行者たちによって、コーヒーノキの実(ブン)の仁(ハッブ・アルブン)もしくは、その殻(キシュル)が焼かれて、煮出され、つまり液体の「コーヒー」として飲まれはじめたらしい(と、そう言うしかない)。

 コーヒー起源にまつわる中心文献は、アブド・アル・カーディル・アル・ジャジーリーの『コーヒーの正当性のために』(1558年)ということになるとして(こタイトルは、シルヴェストル・ドゥ・サシーの1826年のフランス語訳 "Traité de la légitimité du café" からの和訳だ。いずれこの先、この本には、別の名前で出会うことだろう。それにしても、重訳のせいか、アラビア語の人名の音訳、書名の日本語決定訳の定まらぬことよ)、その起源に多少の曖昧さはあるにせよ、カフワは(ただのブンでも、細かく言って仁か、あるいは殻でも焼いて粉にして煎じて飲料にしたもの)が登場したときに、人類はいったいどのくらいの「戦争」を行い、そして一方で、「詩」をなしてきたことか。

 藤井貞和の「序詞」に立ち戻ろう。

 一方で、詩が、現に目の前で繰り広げられる戦争に仮に「無力」だと言い張る者がいたにしても、詩人は、人間が戦争を知る以前から存在し、言葉をもちいてきた。「要するに、人類にとって、戦争は絶対の条件ではない」という「信念」に裏打ちされた「希望」が、詩のことばにはあるのではないだろう、と、目の前のコーヒーを嚥下しながら、ぼくは、そっとこの「序詞」の復唱をこころみる。

 ホメーロスの時代から、すでに人類は戦争に明け暮れ、このぼくたちが生きている世紀に至るまで連綿として、それはつづけられ、いまだ地球上において、その終結はみられない。

 では、『湾岸戦争論』に集結する論考の発端に位置する藤井貞和の詩を、長い引用になるけれども、ぜひともそのすべてをここに引こう。

 

      湾岸戦争が現実になってより

      わたくしは自分の仕事らしい仕事をしていません

      仕事が手につきません

      歌人なら、戦争を心配する短歌を作ったり

      短歌雑誌がとくしゅうしたりして

      いろめき立つことができるかもしれない

      しじんは何をしますか

      無用の、無能のわれらは、戦争だ、さあ表現を、という

      いろめきをできません

      ベトナム戦争みたいになったら

      しじんはどうしますか

      ベトナム戦争みたいにはならない、と予言できます

      わたくしは右翼少年でした

      六○年安保のときに左傾しました

      アメリカ大使館にデモをかけました

      はじめてソ連が核実験をしたとき

      共産党はそれをきれいな原爆だと言い張りました

      でもわたくしはたった数十人のデモにまじって

      ソ連大使館に押し掛けました

      ベ平連で歩いたこともあります

      広島にも長崎にも行きました

      教育者として平和教育に徹しています

      かえりみて物書きとして平和主義者だったと思います

      太平洋戦争の罹災を子供ごころにおぼえています

      こんどの湾岸戦争は太平洋戦争のみちを

      まっすぐにたどっています

      クウェートは沖縄です

      地上戦争がはじまり化学兵器が使用されると

      アメリカ兵の悲惨な死体がころがります

      フセインがクルド人を殺したそれです

      イラク人の子供たちがつぎつぎに殺されています

      東南アジアの教科書によると

      広島の、長崎の原爆は戦争を終わらせ

      平和をアジアに蘇らせました

      むろんアメリカ人の多くもまたそうかんがえています

      唯一の被爆国日本はその悲惨を世界に訴えて来たと言います

      四五年かんそれは核兵器の戦争での使用を阻止できました

      数千回の核実験が太平洋上でくりかえされ

      小規模の核、「きれいな核」を開発していると言います

      その「成果」を世界に知らせるために

      イスラエル政府を納得させるために

      日本の被害者感情を萎えさせるために

      あるいはベトナム戦争で使用しなかったことを悔やむ

      多くの元アメリカ兵の父母のために

      世界にたいして真の意味での核による抑止力の

      確立のためにブッシュは、いまこそ

      イラク領内での核兵器の使用をと

      サウジ派兵の段階(九○年八月)いらい考えてきました

      その危険なデルタ地帯に乗り込む

      イノキとドイに拍手を送ります

      無能な、無用なノイローゼしじんは

      一万円を出して詩の雑誌で泣いています

      この予言は当たらないことでしょう

      すぐれた予言者が予言をすると

      予言された現実が逃げてゆき

      なにも起こらない、ということをきいたことがあります

      予言は当たらないことになるから

      予言者はさげすまれ世に容れられなくなります

      わたくしはいまだけであるから

      すぐれた予言者でありたいと思わずにいられません

                   (「アメリカ政府は核兵器を使用する」全文)

 

 1990年8月2日にイラク軍によるクウェート武力制圧に端を発し、翌年91年の1月17日には、多国籍軍による「『砂漠の嵐』作戦」が発動され、3月3日の停戦まで続いた戦争「湾岸戦争」。この戦争のさなかの「1991年2月12日深更」に書かれ、自ら所属する同人誌『飾粽』(91年4月号)に掲載したものを、資料として巻末に収めてある、そこからの全文引用である。

 なお、この詩はその後、詩集『大切なものを収める家』(思潮社・199211月)に収録されるに当たって92年6月に改補されている。ひらがなはカタカナに、カタカナはひらがなに変換され、細部における言葉の刈り込みが随所に見られ、タイトルもそれに従い「あめりか政府ハ核兵器ヲ使用スル」となった。その「改補」の営みの全容を仔細にながめると、おそらく、この『湾岸戦争論』にこめられた「論争」の一年ちかく、やはり詩人として批判された自分の作品を鍛えあげることに費やされたことに、胸が熱くなる。

 ここで、その次第を詳しくは報告しないが、いまいちど、この91年2月12日の深更に書かれた詩を読み返し、現代詩の話法における、書き手=一人称を含む登場人物とは限らない(たとえば、「無能な、無用なノイローゼしじん」は書き手=藤井貞和ではない)というヒントを頭に入れ、この詩においていかなる「予言」が行われ、その予言によって、どんな「効力」が、きょうこの日まで続いているのか、ということに読みを集中すればいい。

 あるいは、あの頃の、1991年の、あの災害もあの事件もこの事件も起きなかったあの冬を思い出せばいい。そうやって、読みさえすれば、ここから聞こえてくるのが、所詮できもしないことを言ってみて溜飲を下げる芸術至上主義的評論家学者詩人や、詩は無効だ無力だと決めつけてしまうニヒル引退隠遁批評家詩人(このあたりの、貧しいもの言いは、すべてこのぼくに属します、念のため)の嘆き節や自嘲の詩ではないことは、明瞭だろう。しかし、どうして「有能、有用であるべき」評論家や詩人のなかに、この詩を読み違えるひとがいたのだろうか。

 この詩の、しかもこの現代詩の「鑑賞と解釈!」や評価などが、ぼくにできるはずはないにせよ、「湾岸戦争終結への、予言の詩」と大まじめに詩人自らが刻印したこの詩は、実際いまのいま、98年の暮れもなお緊迫する湾岸状況において、すこしも朽ちていないし、有効でさえある。

 朽ち果てて、無惨なのは、あのころ流行った、マルチメディア時代だの、ヴァーチャル時代だの、「湾岸戦争は起こらなかった」的なポスト・モダンとかいう軽佻浮薄な言説のかずかずではないだろうか。

 この有能な、つまりその「予言」の「能力」を具有している詩人・藤井貞和のつよい「予言のことば」を現実は避けて逃げざるを得ず、地域限定的な「きれいな」核爆弾は湾岸において発射されずに、きょうに至る。すなわち「アメリカ政府は核兵器を使用する」、という予言によって。

 詩集に掲載された形のモノの方が、まさに推敲され鍛えあげられている作品なのかもしれないが、「予言力」の強さは、たとえ己の詩がぶっ壊れても「予言」のちからを、という切実さに支えられた最初の2月の寒い夜更けに書き上げられたこの元の詩に、よりあることだろう(だから、ここに引用した)。

 

 

3 詩と、そしてコーヒー

 詩をめぐる議論は、いや、詩を話題にすることすら厭われ、せせら笑われるきょうに、ぼくたちは生きている。

 「詩」は、数ある文学ジャンルのなかにあっても、一種独特の、どうにもやっかいな代物で、それに直接に従事も関与もしていないぼくのよう者が、下手に手出ししては、大きな火傷を負うか、それともひどい赤っ恥でもかく類のもののようだ、まるで。ましてや、「戦争と詩、詩と戦争」などと、なまいきな口でも叩こうものなら、矢は前からも後ろかも飛んできて、まぬけな自称「似非」詩人の化けの皮は、あわれにはがされそこらに放りだされるのかもしれない。

 たとえば、最新刊の詩の入門書『詩とは何か』(嶋岡晨/19989月/新潮選書)を覗いてみてもよい。混迷する「現代詩」、詩と「非詩」との葛藤を繰り返す120年にわたる「近代詩/現代詩」のなんとも悩ましい歴史。その内容はともかく、やはりここでも、この120年もの間に国家「日本」が引き起こしたいくつかの戦争の間に、この国の文学者や詩人たちを「踏み絵」のようにして襲った歴史の残酷さに、それこそ、胸のふさがる思いで、お手軽に近・現代の詩を分かろうとする自分の浅ましさばかりが、読後を吹きすさぶ風となる。

 たしかに、小説も小説家も大変な時代を越えてあの15年戦争をくぐり抜けもしただろうが、ことばを詩となす詩人たちが、後の時代にあれこれ詮議も区分も評価も自在に出来るだろう、試行錯誤、巧拙入り交じったであろう120年の手法と趣向と思想のなかで紡ぎだしたことばが、国家ファシズムによって圧殺され、「詩」が殺され、試された残酷な日々を、わずかに五十数年まえにもつ、ぼくたちのきょう。

 

 ここに春の銀座の点描がある。前衛のモダニズムの詩人、北園克衛(19021978)の詩。

 

      銀座の白いアヴェニュウは

      ガラスの風が吹いてゐて

      ぼくらの夢を切つてゆく

 

      朝の十時

      コオヒーとパンの匂ひが街にながれ

      飾り窓の菫の花の  

 

      そこだけが

      ガラスをよぎるシャルマンな

      女の声で影になる

            (「水のプリズム/春の葉書」/詩集『若いコロニイ』)

 

 昭和17年に結成された日本文学報国会<詩部会>に監事として名を連ねなければならなかったこの詩人のなかの、つまり日本の前衛としてのモダニズム詩における「コーヒー」のその後はどうだったのか。目を背けたくなるくらいに残酷な光景が、ここ120年ばかりの日本の詩の歴史のちょうどなかばあたりには、あったのではないか。菫の花の影のような、日本のモダンの風景が、いまのぼくには、みえない、みえない。

 そのいっぽうで、ぼくたちのきょうにおいて、「ちょっとわざと刺激的なというか覚えやすい言い方をすれば、それは現在が戦前だからですね」(大澤真幸/1998年/『戦後の思想空間』/ちくま新書)と、軽やかに知的言説をあやつり語るような人が、アウシュビッツのガスからオウムのサリン・ガスへと思想的、哲学的に連想できるその強靱な知性をひっさげて登場するとき、ぼくの言うような「詩」は、ちゃんちゃらおかしいタワゴトと化すのだろうな、きっと。

 だって、考えるために、覚えやすいためにも、いまを仮に「戦前だ」という刺激的なことばで規定をすれば、戦後という枠組みで物事を考えることの意味がみえ、その「場」における思想というものが検証しやすくなるでしょう、と軽やかに語ることのできる人々に紛れて、「予言」の詩を真摯に書くことにどのくらいのエネルギーが注がれなくてはいけないのか、いくらな呑気なぼくにでも、わかる、わかる(ここで引いた大澤真幸の本の論考内容には一切ぼくは触れていない、念のため)。

 それにしても、話題を変えるフリをするが、詩人は、この世のありとあらゆるものを、あるいはこの世にあらざるありとあらゆるものをも、うたうことができたのではないか。

 詩とは、ことばを使って表出できる、この世界の、実体上の、イメージ上の、習俗上の、宗教上の、生活上の、観念上の、信念上の、魂の、身体の、喜怒哀楽の、思想哲学、経営経済、物欲色欲、漂白定住、恋愛別離、戦争平和、民族国家、会社・学内人事、家族離縁離散破産倒産失踪ホームレス、疲弊疾病不平に不満、狂気正気に侠気に凶器、ともかく人間が言及できるであろうありとあらゆることどもを、その作品領域のなかに手繰り寄せることができるものなのだろう。

 やろうと思えば、「ポストモダンから<戦後・後>の思想へと転換する戦後の思想空間の変容を、資本の世界システムとの関連において鋭く読み解くスリリングな戦後思想論」だって、詩にできるかもしれない、やれる人がやろうと思えば。

 この世の中に、あるものを、いまだないものを。「善なる考え」も「悪しきたくらみ」も。ことばで(あるいは、「ことば」に近接する記号類や図像までをも動員して)とらえられる限りにおいて、詩作品のなかでは、言語として実在のものとなるし、なるしかない。

 しかし、それでも、詩人が、たどりつけない「ことば」というものは、ある。

 それは、たとえば、万葉集や古今和歌集において、ついにひとつの「コーヒー」を詠んだ和歌もないのではないか。おなじように、ウェルギリウス(前70〜前19)においても、「コーヒー」をうたった詩はないことだろう(と、断言できないのは、アラビア語「カフワ」は古く酒や蜂蜜酒、および葡萄酒をもそのことばの意味の響きにおいて内包しているとしたら、断言はただちにほどかれなければならない)。

 それは、「予言」や想像力や、詩のちからとは無縁の話、なのだろうから。

 いっぽうで、神も知らない「新たなるもの」がこの世に出現したならば、詩人たちは一斉にその「善きもの/悪しきもの」を詩としてうたいなすということは、古来から変わらぬ詩人への要請としてあったのではないか。たとえば、20世紀に出現した「核兵器」がそうだった、ように。

 極東の列島、7世紀以降において日本と自称する事になった国において、「コーヒー」をうたいこんだ詩が、ごくふつうに登場するようになるのは、厳密には確定できないにせよ、いまからおおよそ120年くらいまえに「近代詩」と、のちに命名されるものがこの国において行われるようになってからだ、と言っておいて、おおきく間違いではないだろう。

 いきなり「近代」詩なのである、コーヒーにおいては。

 吉本隆明は、その『初期歌謡論』(ちくま学芸文庫)において、この国の詩の歴史を次のように嘆いてみせた。

 

    「わたしたちの詩歌の歴史は、いつかどこかでとてつもない思いちがえをしてしまっ 

    たらしい。これは、たえず優位な文化から岸辺を洗われてきた辺境の島国という歴史

    的な宿命を負ってきたことを考えると、痛いほど身に沁みて感じられることだ。わが

    国では、文化的な影響をうけるという意味は、取捨選択の問題ではなく、嵐に吹きま

    くられて正体を見失うということだった。・・・略・・・古代の歌謡から和歌がうまれ、和

    歌の胎内から連歌や俳諧が発生し、また、近代詩がうみだされたという歴史は、詩歌

    の形式的な変遷を語るとともに、その折目ごとに何らかの外来の文化的な影響をもか

    んがえに入れなければ、とうてい解き難いような裂け目を露出した。」

 

 この国において、爛熟した近世のそのさきで、最大級の嵐としての「西欧の近代」は襲来し、そのなかに「コーヒー」もまぎれもなく必須アイテムとして名をつらね、この国の岸辺を激しく洗い、やがては、この国の近代詩、現代詩に、あるいは現代になお生き延びている短歌や俳句にさえも、大きな断層の裂け目として乱入してくるはずである。

 コーヒーと詩、詩とコーヒーと、個人的にであれ、ぼくが呟くときに、「近代化」というフィクションが日本語を「詩」を激しく揺さぶり、もちろんそのまっすぐ先にこの列島に属しているぼく自身の1958年以降の母語もあり、ぼく自身もが、その繰り返しの西や東からの外来文化の影響を、うれしくにぎやかに受容した岸辺の申し子であるということを、繰り返し思い起こす必要がある。

 さて、「詩とコーヒー」と、おおきく表題し、ウェルギリウスだの、日本近・現代詩の120年、などとうわごとのようにわめいたあとで、ともかく、部屋中のありったけの詩集と近所の小さな図書館の地階のかたすみに追いやられた詩集たちと、そして一冊の壮大なる「コーヒーの本」を手がかりに、そろそろ、冒頭かかげた、冷たく青い冬空を流れ行く幾すじもの白い雲のきれぎれを追いかける旅にでかけなくては。

 

 

4 禁酒法の国のコーヒー

 冬空を行く雲の流れる先には、ニューヨークで1922年に初版が、1935年に改訂第二版が出版された、その怪物じみた一冊の脅威の書物がおかれている。

 1920年代、世界は経済恐慌、ファシズムの台頭など不穏な空気に満たされてくる。その一方で、大衆文化というものも、物騒な時代に対抗するかのように狂騒のボルテージをあげていく時代。あるいは、禁酒法なる法律をこの世のものとなした、近代国家アメリカ合衆国のこの時代の象徴なのか、あるいは時代を超越した存在なのか、コーヒーに関する初の総合的な研究の書『オール・アバウト・コーヒー』は登場する。コーランにおいてさえ、いくつかの曲折をへて(2219節、443節)、やっと59091節において「なんじら信仰する者よ、まことに酒とかけ事、偶像とくじ矢は、忌みきらうべき悪魔の業である、これを避けよ。おそらくなんじらは成功するだろう。(90)/悪魔の望むところは、酒とかけ事によって、なんじらの間に、敵意と憎悪を起こさせ、なんじらがアルラーを念じ、礼拝をささげることを妨げようとする。それでもなんじらは慎しまないか(91)」(三田了一・訳/日訳クラーン刊行会/1973)、と明言された禁酒の教えを、20世紀初頭にわずか十数年とはいえ施行した国において、コーヒーの総合的な研究書が誕生し、まさに「世界史」は、この合衆国を中心にまわりはじめようとする20世紀初頭(と、ひとまず紋切り型にとめおいて)。

 『オール・アバウト・コーヒー』には、個人的なささやかな思い出をもつ。過日、まだコーヒー周辺に生息する業界の編集者だったころ、詩人にしてコーヒー研究家の井上誠氏の追悼記事を構成するにあたり、氏のお宅にお邪魔して、氏の愛された『オール・アバウト・コーヒー』1935年再版の原書を拝見させていただいた思い出がある。遺品となった原書には、こまかい鉛筆の書き込みが至るところに施されていたのを、いまでもはっきりと記憶する。詩人にして稀代のコーヒー研究家であった氏の、情熱と信念がその鉛筆の筆跡にありありとうかがいしれた。

 あるコーヒーの雑誌に寄せた氏の一文がある。1975年に柴田書店から出された「たのしい珈琲 2」に「オール・アバウト・コーヒーとの出会い」と題された一文である。

 そこに、この書に寄せる詩人の真情が述べられている、と、いまこの原稿を書くために読み返したその古ぼけた雑誌のなかで感じられる。詩人は、まず、扉の "To My Wife  HLEN DE GRAFF UKERS" という献辞を読み落とさなかった。そこを読みとるとき、「ユーカーの本をつぶさに見、この原稿の最初にみた、その妻ヘレンとの会話と私の想像した所に行き当たり、彼はけっきょく業界の奉仕者ではあるまいかと、いつも心に懸っていた疑念を拭い去ることができた」と、思い定める。その詩人の「想像」は、正しい公正な見立てだと、いまなら分かるような気がする。

 この怪物じみた巨大な書は、「まさにコーヒーの世界であり、あるいはまた土壌であり、その記事は単なる羅列ではなく、知恵と観察を眼覚ませてくれる、一種の警声」であり、密林のごとくであり、この密林に迷い込んだが最後、迷宮のひととなるやもしれぬが、あえてそこに入り「ユーカーよ、こんないい花が咲いていたよ、ご覧なさい、と誰かが言って上げないであろうか。」と、詩人井上誠は呼びかけて、この一文を閉じている。果たせるかな、この呼びかけは、1998年のいまにおいても、なお有効ではないか。

 第1部の歴史からはじまり、技術、学術、商取引、社会と第5部までのコーヒー研究のしめくくりとして、第6部に「芸術の分野」が配され、その第37章「文学におけるコーヒーの歴史」の第1節に、「詩におけるコーヒー」 "Coffee in Poetry"  がある、その陣容、原書818ページ(1935年版)の威容がそこにある。

 1995年には、改訂第二版を底本にした日本語完訳版(UCC上島珈琲株式会社企画・監訳、TBSブリタニカ刊)が刊行された。この日本版を同伴者にして話を先へと進めるのだが、ここから先、気が重いのは「翻訳」の問題である。ことが「詩」にかかわるときに、絶望的な気分に襲われるけれども仕方がない。

 井上誠は UKERS のことを「ユーカー」と呼びかけ、その後、ぼくの周辺は「ユーカース」と呼びならわし、そしてこの度のUCC版は「ユーカーズ」と言う。おそらく、この日本語版がこんご、この UKERS の本における用語の定訳のひとつの基準になるのは間違いないところだろう。

 しかし、たとえば、アラビア学の故・前嶋信次、矢島文夫(「コーヒー文化研究」No.3)、先にみた臼井隆一郎はともに「アル・ジャジーリー」と表記し、また、ラルフ・S・ハトックスの『コーヒーとコーヒーハウス』の翻訳本(斎藤富美子、田村愛理・訳/同文舘/1993)では、「ジャズィーリー」と定冠詞の al を「慣例に従い」省略しているもののほぼ同じ線にある。ところが、UCC版の翻訳では、まず UKERS 自身が、原書で Abd-al-Kâdir ibn Mohammad al Ansâri al Jazari al Hanbali とし、翻訳チームはそれを「アブダル・カディール・イブン・モハメッド・アル・アンサーリ・アル・ジャザリ・アル・ハンバリ」と表記している。これは、もちろんUCC版の翻訳チーム独自の問題と言うよりは、ユーカース(いや、ユーカーズか?)のアラビア語の英語表記の問題には違いない。

 さきにあげたラルフ・S・ハトックスは(ぼくが大学時代に読んだ「日訳注解 聖クラーン」をコケオドシに引用してみたが、種本は彼の『コーヒーとコーヒーハウス』だ!)、その本の序文でアラビア語に関しては、「米国議会図書館転写法」にほぼ準拠したとして、そのフルネームを、Abd al-Qãdir ibn Muhammad al- Ansãrî al-Jazîrî al-Hanbalî と、表記している。

 つまり、「英訳」の問題でもある。かくて、ユーカースの英訳と、アラビア語を直接読めた人の日本語表記(前嶋/矢島)と、フランス語訳からの人(臼井)、そしてハトックスの英訳と出そろうとき、 al Jazari つまり、 al-Jazîrî  は、「アル・ジャジーリー」もしくは、定冠詞をのぞいて「ジャジ(ズィ)ーリー」かなとも言えそうだが、どうだろう。

 これからのコーヒー研究を考えると、イスラーム圏の最新の研究成果を参照しつつ、アラビア語やトルコ語に関するコーヒー関連の人名、地名、書名などの日本語表記の決定や定訳が一刻も早く急がれるのではないだろうか。

 さて、それにしても、1995年のUCC版日本語完訳の偉業は、90年代におけるこの国の一企業のなしえた数少ない後世に残る文化事業であったには違いない。この翻訳本なくしては、おそらく、ぼくの今回の「無謀な旅立ち」はありえなかった。

 では、そろそろ、出口の見えなくなるかもしれない密林へと向かう時がやってきた。

 

 

5  「引用する人」、ユーカーズ

 文献学的な学究肌の姿勢と、精力的な現地取材のジャーナリスト的な姿勢をふたつ併せ持つユーカーズのその人となりを評伝というかたちで成した本はないものだろうか。

 この『オール・アバウト・コーヒー』のジャングルのなかで、ぼくが、そして誰もが辛くなるのは、次々に繰り出される引用の洪水のなかで、著者の風貌が見えなくなる、ということだ。もちろん、コーヒーのすべてを暴くには、その参考文献の豊富さをみれば明らかなように、必需なものとして、数百年にわたる豊穣なる文献からの「引用」は欠かせないにせよ、「引用する人=ユーカーズ」のジャングルは、彼自身の地の文、地声を、ぼくたちから遠ざける。

 その表題に "Coffee in Poetry" とある節において、16世紀のアラビアからはじめて、フランス、イタリア、ウィーン、イギリスの詩人たちの詩を逍遥し、20世紀の同時代のアメリカの詩人たちの「コーヒー」を「主題」にした詩を総計三十篇ほど紹介している。

 そこに引用されている「詩」もしくは「詩のようなもの」のかずかずをながめるとき、ぼくは、急に心許なくなってくる。

 ユーカーズにとって、いったい詩とは、なんだったのだろうか。そんな、いまさらながらの戸惑いは、彼の400年の詩の引用の旅をながめたときに、だれしもが感じることではないか。

 ともかく、引用の最初は、コーヒーの起源に関してもっとも重要な文献と目される1587年の書『コーヒーの合法性に関する潔白』(以下、注記のない翻訳はすべてUCC版に負う)のなかで、アブダル・カディール(と、ユーカーズは、略称するときに著者の長い長い名前の最初を採り、ハットクスや、前嶋、矢島、臼井たちは、<アル>ジャジーリーを採る)は、1511年にメッカで起きたコーヒー弾圧事件(「コーヒー文化研究 no.3 において、矢島文夫も紹介しているラルフ・S・ハトックスの『コーヒーとコーヒーハウス』。この本の中で1511年のメッカ事件は、イスラームの法学資料を駆使して詳細に検証されている)の当時に、「コーヒーに対する宗教界からの非難に反論し、結論としてアラビア人の詩を列挙している」。

 そして、この『潔白』から、コーヒーに対するいわれ無き弾圧に抗してつくられたのかもしれない「アラビアで最も古いコーヒー賛歌」が二篇、紹介されている。書いた詩人の名はわからないが(アル・ジャジーリーの原典にはあるのだろうか?)、「同時代のもっともすぐれた詩人たち」らしい。

 では、その「アラビアで最も古いコーヒー賛歌」として紹介されている作品を見てみよう。

 これは、すでに述べたとおり、アラビア語から『オール・アバウト・コーヒー』において英訳されたものの日本語への重訳のはずである(断定しないのは、翻訳版において「アラビア語からの翻訳」と詩に添えられているからだが、原書にも Translation from the Arabic とあるからには、重訳とみて間違いではないだろう・・・・・・)。

 

      コーヒーを讃える(アラビア語からの翻訳)

 

      ああ、コーヒー。すべての憂いを追い払う。勉学する者、それを

      望む。

      神の友の飲み物。それ飲まば、知恵を求める者に健やかさをもた

      らす。

      木の実の慎ましき殻から作られたりて、香りは麝香、色は墨。

      聡明なる者、泡立つコーヒーを飲み干さば、それのみ真実を知る。

      救いがたき頑迷さによりてコーヒーを難じる者から、

      神がコーヒーを奪い去らんことを。

      コーヒーは我らが金。それ供されたれば、

      気高く心の広き仲間の集い楽しめん。

      飲まんかな。無垢なるミルクのごとく無害にて、

      ただ異なるは黒きことのみ。 

 

 二篇紹介したと書いたが、この最初の詩には「同じ詩で韻を踏んだもの」も併せて紹介され、さらにもう一篇「コーヒーとの親しき交わり」がある。

 それは、ともかく、いずれにしても、いま引用した詩が、「同時代のすぐれた詩人たち」の詠んだものだといわれても、ぼくには、それに応答することばがない。

 「詩とコーヒー」と、題したこのぼくのここまでは、なんだったのかと弱気になりつつ、いまは、ユーカーズの原書の英訳をも添えてみよう。

 

       IN PRAISE OF COFEE

 

                   Translation from the Arabic     

            O Coffee!  Thou dost  dispel  all cares,  thou  art

             the  object of desire to the  scholar.

              This  is  the  beverage  of  the  friends  of  God;  it

             gives  health  to  those  in  its  service  who  strive

             after  wisdom.

         Prepared  from  the  simple  shell  of  the  berry,

             it  has  the  odor  of  musk  and  the  color  of  ink.

              The  intellifgent   man  who  empties  these  cups

             of  foaming  coffee,  he  alone  knows  truth.

              May  God  deprive  of  this  drink  the  foolish

             man  who  condemns  it  with  incurable  obstinacy.

              Coffee  is  our  gold.  Wherever  is  served,  one

             enjoys  the  society  of  the  noblest  and  most  gen-

             erous  men.

              O  drink!    As  harmless  as  pure  milk,  which 

             differs  from  it  only  in  its  blackness.

 

   時代の雰囲気を伝えるべく古めかしく翻訳された英文の詩は、さらに、アラビアの16世紀の詩をぼくたちからさらに遠ざける。

 コーヒーに対する、1511年のメッカにおける「宗教的弾圧」事件に関しては、すでに触れたとおり、ハトックスによる『コーヒーとコーヒーハウス−−−中世中東における社交飲料の起源』に詳しい。それによると、16世紀のアラビア半島で見られたコーヒー弾圧とは、飲料としての「コーヒー」そのものを弾圧するというよりも、コーヒーを飲むために人々が集合する「コーヒーハウス」を、そして何よりも都市において人々が参集すること自体に胡乱な不信心な空気を嗅ぎとった為政者による宗教的・政治的弾圧の動きであった、ということらしい。

 ときの体制側は、「コーヒー」のもつ危険な潜在能力を見逃していなかったのだ。

 しかし、弾圧の試みは繰り返し、常に失敗する。

 たしかに、コーヒーにあたるアラビア語「カフワ」は、果実酒すなわちワインを指すコトバであったにせよ、人を「酩酊」させるアルコールと、むしろ「覚醒」させるコーヒーとを同じだと言い張ることには、白を黒、黒を白だと言い張るほどに、現実的に言って無理があった。

 両者の違いは、飲んでみさえすれば、誰にとっても明らかなことであった。

 だから、「ワインのように明らかに非合法な商品」の消費ですら完全には抑え込むことができなかった当時のエジプトやシリアの状況からいっても、すでにコーヒー飲用の習慣が定着していた16世紀に何回も試みられた当局によるコーヒーおよびコーヒーハウスの禁止はつねに失敗に帰していたのである(ハトックス『コーヒーとコーヒーハウス』p.58)。

 ワインすら取り締まりきれないのに、「コーラン」の何処をさがしてもコーヒーに関する言及はなく、あるいは、預言者ムハンマドの時代には「コーヒー」は飲用されていなかったのだから、コーヒーに関する「ハディース(伝承)」にもコーヒー登場しないはずで、禁止はつねに恣意的にならざるを得ず、結局は政治的な駆け引きのなかで、その後、フランス革命においても実証された「社会的な機能性において」コーヒーが誘発する「人間関係」のありようの具象化である「コーヒーハウス」が、あたかも宗教的な関心を装いながら政治的な意図の元に施政者側から繰り返し行われたのではないか、と新進のオスマン史研究家ハトックスは分析する。

 そして、その政治的意図は、しかしすでに数十年の飲用習慣が定着してしまっていたコーヒーを、民衆から奪うことは出来なかった、のである。仮にできるとしたら、彼らの「神」による明確な禁止という錦の御旗が不可欠だっただろうが、ウェルギリウスも知らない、この列島の万葉のころの歌人たちも知り得ない、その「コーヒー」に彼らの「神」もまた、言及してはいなかった。

 当時の詩人たちの課題は、そしてコーヒー擁護派からの詩人に対する要請は、神も知らない「コーヒー」に対して、明確な神の認証を与え、表現することにあったに違いない。

 当時の、「アラビアの詩人」の実像のかけらも知らないぼくが、が厚顔にも述べるが、コーヒーに関してなされた当時のこの詩は、政治的な抑圧と、宗教的な嫌疑に立ち向かう、「文学的な」予言、確証なのではないだろうか。そして、そうであるならば、詩人は、政治に向かっても、宗教に向かっても、コーヒーは「神の友の飲み物」と明言し、返す刀で「救いがたき頑迷さ」によって「コーヒーを難じる者」から「神がコーヒーを奪い去らんこと」と言い放つ。コーヒーの神の名においての正当性は、この詩では自明であり、コーヒーを非難するものに対する神の罰は、他でもないその恩寵の「コーヒー」を奪い去ることにある、という徹底的な正当性の表明である。

 よく、時代の要請に応えた、詩、なのだろう。

 民衆すべてが、コーヒーハウスにたむろする、いろいろな階層の人々すべて敬虔な信教の民であったはずはないが、初期コーヒー飲用者であったろう「スーフィー」たちの、人生における敬虔な態度を、つまり、「勉学する者」「知恵を求める者」「気高く心の広き仲間の集い」を持てる者のイメージが、そのままコーヒーを愛好する者たちの、表層的なコピーになっていったのではないか。つまり、例のインスタント・コーヒーの「違いのわかる男ー」というコピーの、遠き原典のような気さえしてくる。実際は、不信心で、隠れて飲酒したり、反社会的なよからぬ事をたくらんでいるのかもしれない男どもでも、ひとたびコーヒーを手にすれば、おいそれと批判できない何者かに一瞬、見えてしまいそうな、そんな魔力のイメージの源泉が、当時の一流の、おそらく自身もそのコーヒーのとりこになったであろう詩人たちによって、供給されたということではないだろうか。

 ほかの韻を踏んだ詩、そしてもう一篇のアラビアの詩の、そのコーヒーをイメージする詩句を整理してみると、こんな感じだろう。

    [効能]

    憂いを払う/健やかさをもたらす/真実を知ることができる/ひとを慰める/神より

        の恩恵を得られる/喉の渇きをいやす/いかなる悲しみもあらがえず/災いは慎み深 

        く道を譲る

    [イメージ] 

    神の友の飲み物/我らが金/無垢なるミルクのごとく無害/愛されし香り高き飲み物

        /芳しきことの麝香のごとく/黒きこと煤墨のごとし/我が宝/神の御子の飲み物/

        その色は無垢なることの証し

と、いった具合に、ここまで「同時代の詩人たち」に熱情的に賞賛されたコーヒーを、あとは「己を信じて飲まん。愚か者の言葉、耳をかすなかれ」と畳み込まれたら、ハーイル・ベグ(ハトックスによると、この1511年のメッカ事件の最初の主たる反対者のハーイル・ベグは、マムルーク朝の「パシャ=代官」で、しかもイスラーム法の諸規定が遵守されているかを広く監督する「ムタスィブ=市場監督官」)のような「狂信的」なまでに「敬虔な」コーヒー反対論者による取締りが厳しかろうと、飲まずにはいられなかっただろう。しかも、ひとりではないのだ。コーヒーの「宴に加わりたる者」は、みんな「至福に」包まれるのだから。

 さあ、そろそろ、アラビアの無名詩人たちに別れを告げて、最後に、「ワイン」に対峙させたコーヒーのイメージ、つまりはストレートなワインに対する攻撃の詩句を、「コーヒーとの親しき交わり」から引いておこう。

       ・・・・・・

      皿にて豆を煎り飲み物作るありさま

      見たれば、樽に入れたる果実酒、

      ただ嫌悪あるのみ。

      美味なる飲み物、その色は

      無垢なることの証し。

      ・・・・・・

 黒きこと煤墨(すすずみ)のごときコーヒーの色は無垢なる証しで、いっぽうの赤きこと血のごとき「樽に入れたる果実酒」は、ただただ嫌悪あるのみと、ばっさり斬る。「樽に入れたる果実酒」と訳されている部分は、ユーカーズの英訳では、wine and liquor from casks とあるので、ワインは当然にふくまれている。

「文明の歴史を遡るかぎり、葡萄とワインはつねに存在し」、「葡萄栽培はまずカフカス山脈の斜面で、次いでメソポタミアで」、「エジプトでも紀元前三○○○年頃から葡萄を栽培」していた。「ヨーロッパでは、古代ギリシア人がシチリア島やイタリア半島南部に葡萄を移植し、ワインづくりを広めた」(『ワインの文化史』より/ジャン=フランソワ・ゴーティエ/八木尚子・訳/白水社 文庫クセジュ/原著1981年)という。

 もっとも、ここでは、この時代のアラビアの詩人たちが、古代のワインを賞賛するかずかずの詩篇を知っていた上で、真に彼らの「神」の友の飲み物であり、その御子の飲み物であるコーヒーの詩をつくるときに、ワインを、詩の表現上における仮想目標ないしは仮想敵にするのは当然だと、考えるしかない(このワインへの嫌悪、非難は、その後のヨーロッパの「コーヒー詩」にも受け継がれていく)。

 

 

6 コーヒーのウェルギリウス

 さて、『オール・アバウト・コーヒー』の翻訳本と原書(35年版)、そしてラルフ・S・ハトックスの著作を行き来する作業にくたびれ果てたこのあたりで、話がワインにまで拡散しないように、臼井隆一郎にもう一冊ある中公新書 No.1267 『パンとワインを巡り 神話が巡る』(1995年)をもって、とめおこう。

 「コーヒーの近代史」と「パンとワインの古代史」の両輪のテーマは、2冊並べたときに、著者の言語態分析や神話論的アプローチの軌道がおぼろに垣間見られる。いまは、そのことだけを申し述べて、ぼくたちの旅を急ごう。きっともう、冬の空も、すでにしてとっぷりと暮れて、問いかけの白い流れる幾すじもの雲もまもなく見えない頃あいにちがいないのだから。

 

 ユーカーズが、紹介する残りの27篇は以下の通りだ。詩篇のタイトルのまえの数字は便宜上、4番からふった(アラビアの詩篇をとりあえず3篇と数えて)。

 

[フランス]

4「コーヒー」ギローム・マシュー/5「無題」ベリジ/6「神の飲み物なるコーヒー」ジャック・デリーユ/7「無題」(ガランに捧げた詩)モームネ/8「植物」カステル/9「コーヒーの詩」作者不明(18世紀の詩人)

[イタリア]

10「今日・昼」ジュゼッペ・パリーニ/11「今日・朝」ジュゼッペ・パリーニ/12「清貧」教皇レオ13

[ウィーン]

13「いざ、コーヒーハウスへ」ペーター・アルテンベルグ

[イギリス]

14「コーモス」ミルトン/15「無題1」アレクサンダー・ポープ/16「無題2」ポープ/17「髪の毛ねずみ」ポープ/18「貧しきアフリカ人への憐れみ」ウィリアム・カウパー/19「コーヒーの苗木」(ド・クリュー大佐の冒険談)チャールズ・ラム/20「帽子と鈴」ジョン・キーツ/21「コーヒーとクランペット」ランスロット・リトルドゥー/22「街の鼠と田舎の鼠」プライアとモンターギュ/23「天下無敵の君主、カウヘー王に捧げる」ジェフリー・セフトン

[アメリカ]

24「お袋の味のコーヒー」ジェームズ・ウィットコム・ライリー/25「コーヒー」(「携帯用酒瓶と細口瓶」より)フランシス・サルタス・サルタス/26「コーヒー」(「ブラックコーヒーを飲みながら」)アーサー・グレー/27「コーヒー頌歌」ウィリアム・A・プライス/28「ギルバート・K・チェスタートン風コーヒーに乾杯」ルイス・アンターメイヤー/29「妻なら誰でも承知ずみ」ヘレン・ローランド/30「不平の理由」バートン・ブレーリー

と、いった具合だ。

 16世紀から20世紀初頭にかけてのコーヒー礼讃の詩のいちいちを引用しないが、たとえば、1718年、フランス人ギローム・マシュー(アカデミー・フランセーズの会員だった)のラテン語による詩集『コーヒーの歌』。その詩集は、ド・ボーズにこう称賛された、とユーカーズは書く。ド・ボーズ曰く、「もし古代ローマの詩人ホラティウスとウェルギリウスがコーヒーを知っていたら、このような詩を書いただろう」と。そして、そのなかの「コーヒー」という詩を、大英博物館所蔵のラテン語原本より、『オール・アバウト・コーヒー』のために英訳したもので、原書で延々3ページ半、日本語版においては5ページをもついやす長編詩である。

 これが、ウェルギリウスの詩業を髣髴とさせる詩篇なのかどうかは、どうにも心許ないが、この詩の「格調の高さ」はラテン語原文で朗読でもできないことには、論評する資格はないことだろう。それにしても、この詩の話題の過剰ぶり、乱雑ぶりはどうだろう。

 まず冒頭に・・・・・・

 

      コーヒーがいかにして我が国に伝わりしか、

      この神の飲み物はいかなる性質があり、いかにして飲むか、

      あらゆる災いからいかにして人を即座に助くるか、

      素朴なる詩でここに語らん。

 

 「素朴なる詩」という自己規定が、古代の詩人の詩業を彷彿させるのだろうか。

 ともかく、18世紀のフランスのウェルギリウスはつづける。

 コーヒーノキの来歴。「遙かなるアラビア、それを生む寛大なる地なり」からの、ヨーロッパ、そしてアジアへの伝播。そして、「話かわりて」、一転、実用的なコーヒーの道具の話、コーヒーの挽き方、いれ方のこまかい講釈とつづく。かとおもえば、飲用する時間に関する話題。明け方によし、早朝によし、食後によし、食べ過ぎたときによし(と、なにやらテレビの胃腸薬のコマーシャルでもみる思い)。とにかく、「来たれ。己の健やかなることに気遣いする者よ」と、健康にたいしてよいことずくめの羅列。

 そして、いよいよクライマックス、この長編詩は脈絡なく、たて方の話の蒸し返しのあとに、コーヒーの起源伝説、おなじみの山羊飼いのコーヒー発見伝説、コーヒーの機能飲料ぶりの解説、そして大団円は、アラビアの詩人たち同様に、コーヒー御利益のリフレインへと収斂していく。この長編詩一篇をもって、以降、数百年の西ヨーロッパにおけるコーヒー礼讃の詩のスタイルは見通せそうでもある。

 それにしても、あの16世紀初頭のアラビアの詩人たちと、この18世紀のフランスの「ウェルギリウス」氏とを隔てているのは、おしゃべりの量だけではなく、「来たれ。己の健やかなることに気遣いする者よ」、と呼びかけ、健康にいい、肥満にいい、と言い立て、恐れを克服できる船乗りは「死の岩礁」にさえ打ち勝つという、「健康志向」のありようではないか。

 これでは、コーヒーは、まるで健康食品やダイエット食品、そして新時代の薬効が加味された「超薬」のようなものではないか。

 そして、そのいっぽうでテンションが落ちているのは、「昼夜、勉学に励む者」「休息を取らずして知恵を求めて歩む者」という、最初にコーヒーを飲んだであろうスーフィーたちのストイックなイメージである(アラビアの詩人たちの詩は、そのスーフィーたちの民衆におけるコーヒー継承者たちをも描写しているだろうが)。

 ギローム・マシューの詩句にも、「営々とひたすら働かんとする者」「夜更けまで勉学に勤(いそ)しまざるを得なき者」というフレーズはあるにせよ、「気ふさぎ」や「眩暈にて脳が震える」に効能のある、万能薬だという宣伝文句じみたリフレインにかき消され気味である。

 アカデミー・フランセーズ会員にして聖職者である、すなわち、神のことばの番人であり、地上のことば(フランス語)の番人でもあるマシュー氏は、もっぱら、コーヒー愛飲家の建て前としての本音(あるいは本音としての建て前)のメインに「健康信仰」を持ち出したのだろう。万能薬を凌ぐ薬効は、「無慈悲なる病、そなたより逃げ去る」効果をもたらす、というわけで。まさに、「神のごとき弁舌」を得てこの次第が饒舌に語られる。この「精神の世紀」に、ひとは(貴族たち)はどのくらい健康信仰、不老不死を切望していたか、わからないが、コーヒーに無縁な貧しき者たち(精神のひとびと)も、やがて、コーヒーと一緒に健康信仰をも手に入れる時代への最初の傾きだっただろうか。

 コーヒーは体に積極的にいいという主張は以後、今日にいたるまで絶えることなくあり、いっぽうで、体に悪いと主張する者もまた皆無ではない。

 神の認証を得た飲料だというのは承知した上で、現世的に言って、「健康願望/不健康願望」のいずれをも満たす両義性が、コーヒーのこの数百年の神秘性の少なからぬ部分を担っているのを、詩人たちは見逃さないし、「時代の声」たらんとする詩のことばは、おのずとそういう傾きを増長させるだろう。

 アラビアの詩人の「無垢なることミルクのごとく無害」と、マシューの「(コーヒーのお陰で)船乗りたちは、死の岩礁に打ち勝つ」という表現の差は、時代と地域と宗教と世界観(現世観)の違いを、コーヒーを間にして、さらに鮮やかだ。

 神がひとの健康問題のデリケートな部分まで気にしていたかどうかはともかく、17世紀初頭のフランス人聖職者の「神」と16世紀のアラビアの詩人たちの「神」は、コーヒーをいつ、どのようにして、バトンのように受け取ったものか。あるいは、詩においては、聖職者であろうとも、神は自ずと神話の世界へと汎神論的に拡散するものなのだろうか。

 マシューの書いた詩のような、文学的な価値はともかく、コーヒー礼讃詩は、その後も延々とつづくことになる。旧来の飲料、前時代の飲料、ワインへの批判をもこめながら。

 カトリックの聖職者であるマシューは、コーヒーの地アラビアをこう礼讃する。

「喜ばしき力を持ちて健やかに暮らす。/生を営みつつも、病の何たるかを知らず。/バッカスの子にて贅沢の友なる痛風を知らず。/あまたの病、我が国を通りて世界を襲わんとするも関わりなし。」

 バッカスの子である「痛風」を病んでいるひとびとよ、コーヒーを飲もう、と、「ラテン語」にて言い立てている、その弁舌のさわやかさも、コーヒーのなせる業なのだろう。

 ともかく、マシューの詩は、

「そなたに友として付き添うは心強き健やかさ、/陽気なる人々、語らい、楽しき冗談、耳に快き囁きなり。」として、この長い詩句を終わらせる。

 では、ここらでマシューを離れるが、「痛風の父」であるバッカス神も登場するに違いないウェルギリウスの『農耕詩』の断片を拾っておこう。

 

      今よりは、バッコス神よ、あなたを歌ひ出でよう。

      のみならず、あなたと共に、森の潅木と、生長のゆるやかな橄欖の果実とをも。

      来り給へ、葡萄の父よ、ここは、萬物が、あなたの賜物に満ち溢れてゐる。

      田園は、あなたのために、葡萄の(実りの)秋でたわわに賑ひ、葡萄酒は、

      槽に溢れて泡立つてゐる。

      ここに、おお、葡萄の父よ、来り給へ。

      あなたの半長靴を脱ぎ、われと共に、裸足を新しい葡萄酒の中にひたし染めよ。

           (越智文雄・訳/『ワイン頌詩集』村上文昭・編/中央書院より引用)

 

 ローマ最大の詩人と言われたであろう、ウェルギリウスは、ついに一篇のコーヒーの詩も書かなかったにちがいない。この『農耕詩』において、ウェルギリウスは、農耕の営みを奨励する文脈のなかで、「バッコス」神よと呼びかけ、神とともに葡萄の実りがもたらした酒を、まことに純朴、素朴にことほぐ。

 この酒が、アラビア語でカフワにつながっていても、コーヒーのような、不気味なまでの底知れぬ神秘さは、葡萄の果肉にも、そのジュースにも、そしてワインにも見つけることはできない。ワインは、あれにいい、これにいい、といちいち言い立てる必要もないくらいにながらく「神」ともにあり、農耕に従事する者らが何千にもわたって自ら作りなした氏素性の明確なる、飲み物ではあるのだから(極東の国の赤ワインを称揚するに「ポリフェノール」云々とあるのは、この地にてウェルギリウスの詩業があまねく伝わっていないせいだろう)。

 

 

7 そして、詩とコーヒー

「詩とコーヒー」と呟いて、なにか空しさをおぼえるのは、ユーカーズの本に代表されるような、ぼくが「詩」を感じることのできない詩のかずかずが、内外のコーヒー関連書籍内において、連綿とした伝統で受け継がれているからだ。「詩」も、「教養充足願望」の餌食になっていたのではないか、という浅ましい疑念がよぎる。

 ジャック・デリーユの詩「神の飲み物なるコーヒー」に、コーヒーは「詩人に優しき飲み物」とあるが、どうやら、コーヒーは「詩」にはさほど優しくなかったのではないだろうか。

「詩におけるコーヒー」とは、つまり、コーヒーを主題にした、というよりも、おおかたにおいて、コーヒー(あるいは、コーヒーハウス)を擁護したり、称揚したり、熱烈な、狂信的なまでのラブコールを送り続けてやまない詩のかずかずだったのではないだろうか。恋のうた、だとしたら、うぶな初恋のうた、一方的な、熱烈的な、いささか狂信的な、恋歌のかずかずだったのではないか(日本においても、近代詩の初期に多くみられるように)。

 ユーカーズ以外の、内外のコーヒー研究者たちの引用した詩がすべてそうだ、というわけではない。それでも、詩を、詩の問題として(変なもの言いだが)、切実に引用したコーヒー研究書がどのくらいあるのだろうか。そこに、絵画や小説や陶芸や映画などと一緒に「楽しいカルチャー」としての詩にみえる、コーヒーの主題探しの趣はなかったか、どうか(「詩」のみを他の芸術・娯楽ジャンルにひき比べて特権的に高尚だと、ぼくは言っているのではない。詩は俗悪でもあり権力や戦争に奉仕もする悪をも抱え、それは、絵画やほかの文学、あるいは陶芸でも映画でも同じように高尚でもあり、俗悪であるということであり、つまりは、さまざまな局面を孕むものとして、人間の営みの幾断片の響きが詩においてさえもあるはずだ、と言いたいだけだ)。

 ともかく、ぼくの読みの甘さもあるだろう、日本語訳のその先の英訳を、その先のラテン語だの、イタリア語だのを、詩として読めないぼくに、ユーカーズの引用した詩に関してこれ以上の進展はないわけだが、この偉大なジャングルのクルージングの最後に、原書p.789(日本版p.859/860)に罫で囲まれた、A COFFEE THESAURUS 「コーヒー類語集」を紹介しよう。

 副題には「コーヒーノキ・コーヒー豆・飲み物のコーヒーに与えられた讃辞と名言」とある。その飲み物のコーヒーに与えられた「讃辞と名言」をここに引用しよう。この作業には、ユーカーズが採集した、数世紀にわたるアラビアからヨーロッパ、アメリカの詩人たちのことばが、そこに多く含まれているはずだから。

 このことばのストックが鏡になって教えるものは、コーヒーに求められていた、コーヒーが演じなければいけないものの「役どころ」のリストなのだ。

 

「憂いを忘れさせる薬/華やいだ飲み物/神の果汁/神の飲み物/血色のよいモカ/男の飲み物/愛しき飲み物/美味なるモカ/魔法の飲み物/この豊かなる強壮剤/神の液体/家庭的な飲み物/コーヒーは金(きん)/万人の果汁/素晴らしきモカ/心地よき飲み物/神の与え給いし飲み物/喜ばしき飲み物/万人の飲み物/アメリカ人の飲み物/琥珀色の飲み物/万人の喜び/芳香のなかの王者/幸せの飲み物/気持ちを落ち着かせてくれる飲み物/神々の美味なるもの/知的な飲み物/芳香を持つ飲み物/健康によき飲料/善人の飲み物/民主的な飲み物/常に輝ける飲み物/眠気を追い払ってくれる思いやり深き飲み物/素面の飲み物/精神の必需品/闘う男の飲み物/寵愛されし飲み物/もてなしの象徴/この希有なるアラビアの強壮剤/文学者にインスピレーションを与えるもの/革命の飲み物/勝利の黒き液体/厳粛にて健康的なる飲み物/知識人の飲み物/きらめく機知の増進剤/色合いは純潔の紋章/酩酊を起こさない健康的な飲み物.千回の接吻より素晴らしきもの/この誠実で励ましになる飲料/悲しみがあらがえぬ美酒/人類はみな兄弟であることの象徴/速効性ある喜びと薬/神に親しき者たちの飲み物/悲しみを焼き尽くす火/家庭の災いを癒す優しき万能薬/朝の食卓の専制君主/神の御子の飲み物/アメリカ人の朝の食卓の王者/素面で物憂いときに優しくなだめてくれる飲み物/元気を回復させてくれるが酩酊させぬ飲み物(*)/コーヒー、それは政治家さえをも賢明にする/その香り、万物の中で最高の喜び/楽しく健康的である至上の飲み物(*)/強国であるための不可欠の飲み物/悲しみを流し去る液体/そよ風が運んできた魅惑の香水/心を喜びで満たす好ましき液体/友情の祭壇に注ぐ美味なる神酒/心配事を心から追い払ってくれる励ましの飲み物//(*)そもそもは茶のこと。後日、誤ってコーヒーのことだとされた。」

 

 紹介した詩篇のなかのフレーズのいくつかがここに含まれているのからもわかるとおり、かなりは、詩からとられている。

 これは、20世紀初頭のアメリカの(場合によってはいまも)コーヒー会社の宣伝担当のコピーライター必携のシソーラスではなかったのか。それはそうとして、このことばによる規定をすべて同時に引き受けられるコーヒーは、15世紀の半ばから20世紀のいまにいたるまで、おなじ飲料を指し示しているのか、どうか。それは、万葉集にうたわれる、たとえば、「降る雪」や「月」や「霜の降る夜」や「梅の花」などは、いまのぼくたちが知るそれらと同じかどうか、という問いかけと、それは似通うような通わぬような。さあ、どうだろう。

 先端的な商業コピーの騎手たちも、「現代詩」の詩人たちも、いまとなっては「手を出せない」表現のかずかずが、ここにリスト化されていることは、疑いがない。「政治家さえをも賢明にする」とかの言い回しなら、工夫次第ではどうにかなりそうだが、どうにも20世紀末の「悲しみ」はコーヒーくらいでは焼き尽くせないような気がする。

 それでも、先端的な現代の詩が、「月」なら「月」を中世の詩人のイメージの呪縛から自由になれているのか、という問いは、このシソーラスにあられもなく「網羅」された「コーヒー」のイメージから、数百年をかけ、ぼくたちは自由か、という問いとまったく拮抗していることは疑いない。

 では、ぼくたちの時代、コーヒーはどうなっているのか。コーヒーの詩は。

 

 

8 朝のコーヒー

 コーヒーを主題にしている詩ではなく、「詩とコーヒー」、「コーヒーと詩」について実作を示すときがきた。白秋も杢太郎も茂吉もいない、淋しいものだが、とりあえず、コーヒーと詩、詩とコーヒー、この両者の手術台のうえでの遭遇の首尾や如何、ということがいま問われている。すでに、『コーヒーが廻り 世界史が廻る』では、先をこされて、吉本隆明の勁草書房『定本詩集』のなかの「告知する歌」と、『黒田三郎詩集』(思潮社)の「微風のなかで」が、引用されている。黒田三郎のその詩の最後の二行。

 

      僕は香り高い朝の一杯のコーヒーをのむ

      僕はやすらかな妻の寝息の微かなくり返しをきく

 

 戦争中にジャワのコーヒー農園経営に旧南洋興発社員として関わった詩人の戦後に書いた詩は、朝の香り高いコーヒーのむこうに、「僕の平和があるのだろうか」と、「血にまみれた」記憶にくり返し立ち戻りながらも、「小市民の生活」のなかに、何を見いだすのか、と自問する朝の光景。妻はまだ目覚めない。「香り高い朝の一杯」は紋切り型でも、戦時中の記憶と妻の寝息の日常の亀裂の深さを埋めるには、ぜひとも、コーヒーが置かれなくはいけなかった。

 この朝のコーヒーの情景をひきとるならば、この国でもっとも知名度がある「現代詩人」のひとりにちがいない、谷川俊太郎の詩から朝の情景にコーヒーを発見しよう。

 

      朝

 

      隣のベッドで寝息をたてているのは誰?

      よく知っている人なのに

      まるで見たこともない人のようだ

 

      夢のみぎわで出会ったのはべつの人

      かすかな不安とともにその人の手をとった

      でも眠りの中に鎧戸ごしの朝陽が射してきて

 

      朝は夜の土の上に咲く束の間の花

      朝は夜の秘密の小函を開くきらめく鍵

      それとも朝は夜を隠すもうひとりの私?

   

      始まろうとする一日を

      異国の街の地図のように思い描き

      波立つ敷布の海から私はよみがえる

 

      いれたてのコーヒーの香りが

      どんな聖賢の言葉にもまして

      私たちをはげましてくれる朝

 

      ヴィヴァルディは中空に調和の幻想を画き

      遠い朝露に始まる水は蛇口からほとばしり

      新しいタオルは幼い日の母の肌ざわり

 

      インクの匂う新聞の見出しに

      変らぬ人間のむごさを読みとるとしても

      朝はいま一行の詩 

 

 

 谷川俊太郎の「朝」と題された詩の全文の引用である(詩集『日々の地図』収録/1983年)。

 この三行ずつが七連、端正に配された詩のなかの「朝」のイメージは、みずみずしく、鮮烈である。となりに眠るのは「妻」だろうか、しかし、「まるで見たこともない」人にみえる、でもきっと「妻」に違いはあるまい。しかし、この詩における「話者」は、みずからの夢の余韻にすがる。

「朝は夜の土の上に咲く束の間の花/朝は夜の秘密の小函を開くきらめく鍵/それとも朝は夜を隠すもうひとりの私?」と、朝をめぐる比喩は、この詩人特有の、平易なことばの言いまわしにひらめきをこめ、意想外のイメージの跳躍力をみせてくれる。もう、ため息をもらすしかない。

 しかし、次の三行に含まれる、「異国の街の地図のように」思い描くことのできる一日の始まりや、「波立つ敷布の海から」よみがえる私などは、つづく「コーヒー」を容易に導き出す凡庸を恐れない。しかも、「聖賢の言葉」という、遙かアラビアのスーフィーたちをもちゃんと呼び起こし、次に、ヴィヴァルディと、朝露と、母の肌ざわりと、イメージはさらりとコーヒーをはなれ、そして、「変らぬ人間のむごさ」をその見出しの「墨色のインク」にたっぷりしたたらせた新聞の朝の一行は、1980年代の「詩」になっている、と結ばれる。

 あまりに過不足ないこの国の時代の「朝」のイメージの流れのなかで、いれたてのコーヒーの香りがはげます朝というのは、ちょっと驚くほどの素直さ、ストレートぶりである。この詩人が、この国の現代詩という本来、極端にマイナーなカテゴリーのなかにあって、希有のポピュラリティを獲得できる秘密の現場に出くわすような詩、ではある。このストレートなイメージのコーヒーは、いっぽうで、屈折することなく、人間のむごさを毎朝、全国の市民の家々に宅配するこの国独自のシステムによって流通している新聞というメディアの見出しの一行が「詩」としての、われわれの朝に拮抗している日常を見せてくれる。

 その新聞のインク=墨の色はコーヒーの色であり、苦くとも「現実」なのだろう。毎朝、毎朝の飲んでいるはずのコーヒーが響かせるはずの「聖賢の言葉」も、ヴィヴァルディの調和の旋律(それは、波打つ敷布、タオルとおなじで、「白い」だろうか、あるいは、透明)のように耳に心地よくとも、すべては、「朝はいま一行の詩」と告知されて、無に、つまり水(透明)に流れいく。

 くり返し読んでも、この詩からは黒田三郎のどこか土俗的な「コーヒー」の香りはまったくしてこない。眩しい白と美しくコントラストをなすシャープな黒の対比。無臭の80年代的なコーヒーのクールな都市生活者の豊かさと切なさが、ただよっている。

 もちろん、「異国」や「海」やあるいは「ヴィヴァルディ」のなかに、おなじみの通俗的な「朝のコーヒー」という異国情緒がかすかに漂うにせよ、しかし、この詩の静かな律動は、あくまでもさりげなく、あたりまえのように、この朝の情景に、1980年冒頭のこの国のコーヒーのたたずまいをみせてくれるには違いない。この、たかだか16年ほど前の光景が、いまでは、どうしてこんなに、遙けき靄の向こうのことのようになつかしいのだろうか。

 

 では、40年もまえの、そしてあの「パリ」の朝の情景にコーヒーを登場させてみようか。

 コーヒーには、実は孤独が似合うのではないか。ボブ・ディランは、谷間に行くぼくたちに、コーヒーをもう一杯、と所望するべく声を張り上げたというのに、次の詩の、恋人のもとを去る彼は、一言も、視線のひとくれも彼女に与えはしない。その一方で、ひとりで黙々と飲むコーヒーが、登場する。

 ジャック・プレヴェール(1900-1977)の「朝の食事 "Déjeuner du matin" は、こんな風にはじまる。

 

      あのひとは コーヒーを

      茶碗についだ

      あのひとは ミルクを

      コーヒー茶碗についだ

      あのひとは 砂糖を

      ミルクコーヒーに入れた

      小さなさじで

      あのひとはかきまわした

      あのひとはミルクコーヒーを飲んだ

      それから茶碗を置いた

      あたしに口もきかずに

 

 このあとにつづけて、「あのひとは 煙草に/火をつけた/あのひとは 煙で/輪を吹いた/あのひとは 灰皿に/灰を落とした/あたしに口もきかず/あたしに目もくれずに/あのひとは立ち上った/あのひとは/帽子をかぶった/あのひとは/レインコートを着た/雨だったから/そして あのひとは出て行った/雨の中を/ひとことも口をきかず/あたしに眼もくれずに」と、そして、最後の三行。

 

      それから あたし

      手に顔を埋めて

      泣いたの。

            (安藤元雄・訳/岩波文庫)

 

 この32行の詩は、直接法「複合過去(「過去の動作」「現在までに完了した行為」を表す時制)でほぼ記述されており、フランス語の初学者でも容易に意味をたどれる、文字どおり平易な「詩」にちがいない。へたくそな発音で、そっと口ずさんでも、恋人が去っていく切ない朝の情景にもかかわらず、雨の陰鬱な情景にもかかわらず、どこかさばさばした、クールな、乾いたリズムの響きが、都会の朝の日常の情景に「孤独」を響かせる。

 こころみに、冒頭の11行を原文 ( 詩集 "Paroles" 1949 / Gallimard)  で引こう。コーヒーが、ミルクコーヒーになり、さらに砂糖が入り、という様がすべて「複合過去」でそっけなく進行するさまがよくわかる。一行の短さは、そのまま、日常のなかの「小さな永遠」の滴のリズム。

              Il a mis le café

              Dans la tasse

              Il a mis le lait

              Dans la tasse de café

              Il a mis le sucre

              Dans le café au lait

              Avec la petite cuiller

              Il a tourné

              Il a bu le café au lait

              Et il a reposé la tasse

              Sans me parler

 

 別れる朝、恋人は、なぜだかたったひとことも口をきかず(男と女の別れに口をついてでてくる真実の言葉 "Paroles" など、ないのかもしれない?)、視線もくれず、いつものように(いつもは、「わたし」がいれてあげているのだろうか?)、黙々と、コーヒーを、カップに、ミルクを、コーヒーのはいったカップに、砂糖を、そうしてできあがった「カフェ・オ・レ」にと、順々に、あまりにばかばかしい日常のディテールが、複合過去という時制に張り付けられて、ぎこちなく進行する、その朝。しかし、いくら別れの朝だろうが、特別な朝であろうが、たしかに、砂糖入りのカフェ・オ・レを飲むためには、そうやって、まず、コーヒーをカップにそそぐ必要があり、そのコーヒーが注がれた「コーヒーカップ」に、ミルクを注ぎ、その結果できた「カフェ・オ・レ」に砂糖をいれ、小さなスプーンでかきまわし、以上の行為の結果でやっといつものとおりにきあがった「カフェ・オ・レ」を飲んだ、そしてあっけなく「カップを置いた」と、まるで子供の作文風に、ひとつづつに拡大、解体された日常の風景の時制が、まさに「別れの朝」という切ない時制に等価なのが、了解できる。

 この詩においては、コーヒーと同じ機能を煙草がはたしている。「ことば」を遠ざけるために、日常に訣別するための「日常の儀式」として、コーヒーをいれるて飲むことと、煙草をふかすことはまったく等価だ。神の友でもない、悲しみをうちはらってくれもしないコーヒー、があるだけ。

 この詩のなかでのコーヒーをいれる所作のなかに、悲しみや、憂いを避けるコーヒーの功徳の栄光の響きはまるで聞き取れない。モノクロームの、無音の、あえて聞こえるとすれば窓の外のかすかな雨音、そして、静止画像の非情な連続。

 しかも、彼は "il" だ。 "il" はもちろん、三人称単数男性を示すけれども、まるで非人称代名詞の "il" のようでもある(もちろん、彼は彼なのだが)。

 外は雨降りである。「あのひとは/レインコートを着た/雨だったから/そして あのひとは出て行った/雨の中を」に当たる部分のフランス語をみると、

    "Il a misSon manteau de pluieParce qu'il pleuvaitEt il est parti" と、ある。なぜならば、「雨が降っている "il pleuvait"」のだから。実はこの雨が降っているという自然現象の部分だけが、非人称代名詞の "il" を主語に戴いて「半過去(「過去の状態・習慣」を表す時制)」になっている。雨だけは、その朝に、「小さな永遠」の点の瞬間の集積を貫き通して、彼が去ったあとの彼女(=わたし)の孤独をも貫いて、降り続いていたからだろう。この一行のあと、またも、複合過去で、ストップモーションのようにして、映像が張り付けられる。

 

              Et moi j'ai pris

              Ma tête dans ma main

              Et j'ai pleuré.

 

 この詩に映し出されたものは、「朝のコーヒー=恋人たちの語らい、甘い生活」といったようなテレビ・コマーシャルの語る通俗的な光景ではなく、もちろん「演歌的」な定型の別れの悲しさの光景でもない。あるのは、この詩人の通俗性のなかの「詩」のゆたかさと清潔さ、そして訳文をとおしてでも感じることのできる純度の高い孤独の呆けたよう「悲しみ」ではないか。ここでは、詩が、コーヒーの空疎な存在を孤独の旋律にして響かせている。

 

 

9 そして、コーヒーは流れる

 ぼくもまた、引用の人となって20でも30でもの詩篇を紹介したいところだが、あの冬空を流れ行く幾すじもの白い雲の行方はどうなったなのか、「詩とは、コーヒーとは」の問いかけは、と自答し、途方に暮れるところまではどうにかたどり着いた。もう、ここでいい、疲れ果てました、と逃げ出したいところだけれども、あと数篇、詩を、コーヒーにそわせたい。

 

           「食卓に珈琲の匂い流れ」

 

      食卓に珈琲の匂い流れ

 

      ふとつぶやいたひとりごと

      あら

      映画の台詞だったかしら

      なにかの一行だったかしら

      それとも私のからだの奥底から立ちのぼった溜息でしたか

      豆から挽きたてのキリマンジャロ

      今さらながらにふりかえる

      米も煙草も配給の

      住まいは農家の納屋の二階 下では鶏がさわいでいた

      さながら難民のようだった新婚時代

      インスタントのネスカフェを飲んだのはいつだったか

      みんな貧しくて

      それなのに

      シンポジウムだサークルだと沸きたっていた

      やっと珈琲らしい珈琲がのめる時代

      一滴一滴したたり落ちる液体の香り

 

      静かな

      日曜日の朝

      食卓に珈琲の匂い流れ・・・・

      とつぶやいてみたい人々は

      世界中で

      さらにさらに増えつづける

            (茨木のり子/詩集『食卓に珈琲の匂い流れ』より/199212月)

 

 1950年代から詩集を世に送っている詩人の90年代の詩の情景にコーヒーの匂いが流れる。

 挽きたてのコーヒーの香りが、コーヒーらしいコーヒーが飲める時代にたどり着いた、この国のこの時代から、まだ、そうならない、静かな日曜日を持てそうにない、人々が世界中に、「さらにさらに」増えつづける姿を、目撃しなければいけない90年代。

 ジグザグにいま少し。女流の詩人のあとには、原文を掲載できないけれども、もう日本語の詩として受け入れてもよい、と呟きたくなる、須賀敦子(19291998)の詩における翻訳の仕事から、『ウンベルト・サバ詩集』(みすず書房/1998年)をどうしても引きたい。

 イタリアはトリエステの坂のうえで、ベレー帽をかぶり、パイプをふかしていた、詩人ウンベルト・サバ(18831957)が、少女の朝をうたった美しい一篇(「三枚の水彩画」−2)。

 

      カッフェラッテ

 

      つらいと

      おもう。そうなってほしい

      とおもうだけ、おもうように

      なってくれない。

      もうすこしだけ、いとしい

      少女よ、

      ぐっすり眠りたい、彼女はおもう。

      すこしだけ

      目をあいたまま、夢みていたいと。

      やがて、しずかに、揺籠に

      身をささげた。

      老いた

      召使いが入ってきて、

 

      待ちこがれた飲みものを

      さしだしてくれたら。

      ミルクはアルプスのミントの香り、

      黒い

      カッフェは海の彼方の薫り。だが、

      寝床のそばにいるのは、彼女の母親、

      むっつりとさしだす

      家庭用ブレンド。

 

      ほんとうなら、ゆっくりと

      起きて、

      生活が、聞きとれぬほどの囁きみたいに

      しか入らない

      部屋がほしいのだけれども。彼女を待っている

      のは、ふんわりしたアームチェアと本が一冊。

      それから、おしゃべりでない

      考えがひとつ。

 

      それなのに、いつもの

      うるささで、

      母親の声がせきたてる、

      お仕置きみたいに

      おそろしい、一年まえから、

      白いのは白いシーツだけでなくて。

      カッフェラッテでないのを、

      ぐっと飲む。

 

      つらい気持ちで、

      起きる。だが、ゆっくりと

      戻ってくる

      幸福の想い。

 この詩は、ゆっくりと、たちどまり、一行まえにもどり、日本語としての美しさと、主語、述語のシンプルな交錯をたのしみながら読みたい。少女の、思春期に特有のあの朝の寝起きのつらさという無邪気な光景に、まさに夢見るような「カッフェラッテ」が、少し甘酸っぱく拮抗している。

 アルプスのミントの香りのするミルクと、「海の彼方の薫り」それは、きっと見たこともない少女のなかの「空想のアラビア」を表徴し、その薫りを運ぶ黒いカッフェが、ベッドサイドで邂逅する。もちろん、無邪気な夢想は、むっつり顔の不機嫌な母親という名の現実にすぐにも打ち砕かれもするが、そこにさしだされる「家庭用ブレンド」という「カッフェラッテではないもの」をぐっと飲むという情景が、まさに「水彩画」のように、淡く優しげに微笑ましく定着している。少女はつらい気持ちで起きるにせよ、「幸福の想い」はゆっくりと戻ってくる。

 コーヒーは、詩のなかの登場人物の「少女」にとっては、まさに、「海の方の薫り」というイメージに違いなく、ベレー帽にパイプを加え壮年の(あるいは老年の)トリエステの書店の親爺「詩人」の巧みな筆さばきが、いまは亡き須賀敦子の日本語を通してくっきりと視覚化された、「カッフェラッテ」と表題された、まさに一枚の水彩画。

 谷川俊太郎の、1982年の朝の詩の情景のコーヒーと、およそ半世紀ほどまえのイタリアの詩人の情景に置かれたコーヒーは、「海」や「白いシーツ」、「敷布の海」などの朝に属することばの類縁とともに、なにかを予感させる。

 詩は「コーヒー」というイメージに隷属しないし、ましてや「コーヒー」に憧れも幻想ももたいなことだろう。いっぽう、コーヒーも、おそらくすべての言語で指示されるものと同じように、「コーヒー」という実体は「ことば」には隷属しないという自明のことは、朝のコーヒーを描写したここまで四篇で、すでに十分に思いしらされる。

 

 

10 コーヒーは、詩を響かせるか

 1998年も暮れる。そして、この世紀も。いまからたかだか、500年も遡ると、きっと世界のどこからもコーヒーの詩は発掘されはしないだろう。でも、その遙かむかしから、戦争もあっただろうが、詩もあった。ことばを、人間がもちいた、その遙か遙か昔から。

 だからどうだ、という答えなど用意できぬままに、この断章の幕も閉じるときが来た。もう、ぼくの出番はない。あと、二篇だけ、ここに引いておきたい。

 まずは、作家・須賀敦子さんの訳業で知ったもうひとりのイタリアの詩人ジュゼッペ・ウンガレッティ(18881970)の一篇を。

 

     In memoria1916

 

    名前は

    モハメド・シェアブ

 

    遊牧民の首長の

    血をひいていたが

    自殺

    祖国を

    亡くしたので

 

    フランスに惚れたから

    名を変えた

 

    マルセルになったが

    フランス人では なかった

    コーランの

    単調なうたごえに

    コーヒーなどを啜りながら耳を傾ける

    そんな自分の家のテントで

    生きることも もう

    できなくなっていた

 

    見棄てたものへの悲しみの

    うたを  

    唄うすべさえ

    持っていなかった

 

    柩をおれは送っていった

    おれが あいつと住んでいた

    パリは

    rue des Carmes 5番地

    くだり坂の しおれた細い通りの

    あのホテルの女主人と

 

    いまイヴリーの墓地に

    眠っている

    いつも

    見世物小屋が引越した

    あとの日みたいな

    郊外の町だ

 

    もしかしたら

    彼のいたことを 憶えているのは

    おれ だけ

               (須賀敦子『イタリアの詩人たち』/青土社/1998年)

 

 そして、冬空の旅のその果てには、とおく東欧の寒村からも「春の声」はきこえてくるのだろうか。では、加藤温子の詩集『春の声』(思潮社/1997年5月)より、さいごの一篇をここにおこう。

 

      春の声

 

        天使の回廊

      空港は閉鎖されたので

      オーストリアから残雪の国境を越えて

      ザグレブの東90キロにあるシュマリエを訪れた

      四月 草原の村々が祝祭でにぎわったあの晴れた日

      崩れ落ちた古い城廓内のひびわれた石畳に

      一羽の死んだ鳩が仰向けに置いてあった

 

      《光》があった

        《わたしはどこからやってきたのだろう

        《どういう名をもって

        《記憶のかなたから

      はるかにこの石の街を過ぎて

      地上を旅するわたしたち寒い家族よ

 

      −−−あなたはいつまで沈黙さなるのですか−−−

      −−−撒かれた《灰》に赤い花は咲くのでしょうか−−−

 

      ほしいのはあなたの《声》

      《ことば》のはじめての谺/春の声

 

      《−−−凍った魚がしずかに泳ぎはじめる/春

 

      ここクロアチアの辺境の村を

      雲はいつものようにゆっくりと流れている

      一杯のコーヒーすらなつかしい

      光がはしる 光の翼が雲間に見え隠れ

      ・・・《アッ 空のなかでちいさな天使が死んだ・・・・・・!

 

      洪水のはるか遠くから

      《ことば》の細い繭糸を指先でたぐりよせたぐりよせ

      燃やした棕櫚の灰を額にしるし

      水曜日のあなたの沈黙のかなたに

 

      《−−−さびしいこどもたちのうたがくりかえしきこえる/春

 

      ゆっくりときしむ宇宙の軸の回転に耳を傾けるとき

      ほしいのは灰に咲く赤い花 そして

      亜麻布につつまれた一羽の鳩の瞳にうつる

      春の声の生誕

 

 

 

00  終わりなき砂漠の旅の、その先へ

 ことばの、そのさきは、あるのか、ないのか。

  詩とはなにか。コーヒーとは。追いかけてきた冬空を流れ行く幾すじもの白い雲たちも、ここに至り、もう行方定かではない。

 詩は、古来、神を、宇宙を、大地を、酒を、蝶を、花を、雲を、空を、風を、森を、月を、孤独を、そして戦争をも、歌いなしてきたのだろう。文字は持たなくとも、ことばを、詩をもたない民族はついにこの地上にいなかったのではないか。

 いつか、世界中の、ことばの力にみちたコーヒーの詩を集めた詞華集を、仲間たちと編むことができたならば、と昧爽の空に夢想する。まだまだ紹介すべき詩はあるだろう。

 たとえば、あの清水昶に、「背中だけの男」というコーヒーを響かせた詩がある(詩集『野の舟』収載)。この詩人は、「コオヒイ」と書きつけて、その湯気の揺らめきの向こうで、1973年の2月某日の朝、ベトナム解放戦線負傷兵捕虜と米軍捕虜との交換の報道を目撃する。世界をあちらとこちらに激しく二分しているのは、ほかならぬ「コオヒイ」の湯気の揺らめきである。それにしても、詩が響かせるコーヒーの湯気の向こうの光景には、「孤独」の影がつきまとう。本来、コーヒーには、人と神、人と人との交感、交流が目撃もされたはずなのに。

「インターネット時代」などと呟いてみて、唇寒いきょうこのごろ、デジタル上の「世間」では、「ことば=記号」によって、つまり言語記号のデジタル性を遺憾なく発揮した、いちぶのすきもない「暴言」や「誹謗」や「中傷」やらが、推敲とも校正とも無縁に、かずかずの刺激的な誤字脱字をひっさげて、世界のコンピューターのネットワークを、いつつきるともなく飛びかっている。

  その「インターネット時代」、世界のコンピューターのソフト市場を牛耳る一大帝国「マイクロソフト社」は、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルに本拠をもつ。そして、おなじ北西海岸の町シアトルからは、全米を、アジアを、この日本の首都をも席巻している、エスプレッソ・コーヒーの一大チェーン「スターバックス・コーヒー」が発祥している。

 世界の株式市場をコンピューターのネットワーク上で監視しつづける若きビジネス・エリートたちの傍らには、イェメン山中のどこかでスーフィーたちがいれたであろう濃厚な黒い液体に拮抗するかのような、本格的なエスプレッソ・コーヒーがおかれているに違いない。そこに世界を見透せる真の「ウィンドウズ」はあるのか、ないのか。ともかく、眠るな、戦え、負けるな、戦え、明敏に、明晰に、合理的に、理知的に、眠るな、仕損じるな、と、20世紀末のぼくたいの「ズィクル」がつづく。どのOS上を走る「神」の名前をとなえればいいのか、わかならいままに。

 デジタル上の砂漠で世界中にネットワークされている孤独の果てなき旅に「コーヒー」はお似合いだ。でも、それだけだろうか。コーヒーにおいて、ついに、「アラビアの幸福」は実現しないのだろうか、どうか。

 ぼくを、あなたを、あなたの友人たちを、妻たちを、こどもたちを、親たちを、きりきりと蝕む見えない悪意は、そこかしこに精神の荒廃があり、疲弊があり、病いがあり、いっぽうで、精神の戦争もが仕掛けられている、というのに。

 どんなに拙くてもいい、「こんなときにこそ詩の言葉が欲しい」。

 

 これでぼくの「詩とコーヒー」をめぐる旅はひとまず終わる。残された課題はたくさんある。この国の戦前の、モダニズムの詩人たちの遭遇した西洋としての「コーヒー」、あるいはコーヒーとしての「ヨーロッパ」もしくは「近代」。そのモダニストたちの遺したコーヒーは、詩は、「戦争」に「殺されたのか」という問いかけは、いまのぼくには手にあまるものの、「詩とコーヒー」とか、コーヒーをこの国が体験した「西欧化」の象徴とみなすのならば、避けては通れない宿題として、あるには違いない。

 しかし、いまはここまでにして、199811月における湾岸危機は回避された模様だが、「スターバックスコーヒー」を愛飲しているのかもしれないアメリカ合衆国のクリントン大統領において、藤井貞和氏のさきの湾岸戦争時の「予言詩」の効力が、今後も及びつづけることを、祈りながら、この旅の物語はひとまずは流れ消える雲となろう。

(獅子座流星群飛来を3日後にひかえた、19981115日の夜明けの頃に)